青年の想像力を追求する

青年の想像力を追求する

☆☆☆☆☆☆☆」で描かれる「青年」。それは「獸(JYU)」の物語でも重要なモチーフになっている。その輪郭を確かめるように、平面作品に共通する少年・青年漫画的な表現や、先行世代からの影響を聞いた。

Text:Seshimo Shota


[漫画表現と「獸(JYU)」]

──次に、作品について伺っていきたいと思います。いくつかの平面作品では、似たキャラクターが描かれているように見えます。

ギロチン:「KID - 01」や「SCHOOL BOY - 02」、「BEAST(☆7) - 00」では、「獸(JYU)」の主人公である黒い獣を描きました。それぞれ子供時代と高校時代、そして獣になった状態です。漫画の冒頭にある人物紹介や設定資料のような感じですね。もともと「獸(JYU)」では東京の都市や団地がよく登場するんですが、この作品では背景を描き込んでいません。遠くから俯瞰したかったので、具体的な場所や建物がわからないようにしました。精神と時の部屋みたいな、真っ白い空間のイメージかな。

──作品のタッチについてはどうでしょうか。

ギロチン:少年漫画や青年漫画に影響を受けています。とりわけ少年ジャンプやヤングジャンプの漫画に見られる商業的な線に関心があります。大友克洋『AKIRA』とか、岸本斉史『ナルト』とか。読者としては五十嵐大介や松本大洋の線も大好きですが、自分で描くものは石田スイ『東京喰種』のように、ツルツルした線にしたくて。

特に「RUNAWAY - 00」は『ナルト』を参考にしました。うずまきナルトの体内に封印されている化け物・九尾は暴走すると身体が真っ黒になるんですが、目だけは白い。その雰囲気を出したかったんです。描いていて気がついたんですが、目も黒くするとシリアスになりすぎる。それは今の時代にも自分の気分にもフィットしていないなって。「獸(JYU)」の物語には重い要素もありますが、サラッとした質感を大切にしています。

──ただ、漫画そのものかと言えば違うようにも感じます。

ギロチン:そうですね。漫画的な表現を用いつつ、ちゃんと作品になるように意識しています。『AKIRA』や『東京喰種』を見ていても、作品的なコマとそうでないコマとがあります。抽象的ですが、歌舞伎でいう見得を切るような感覚が必要なんじゃないかと思います。

セリフを入れるかどうかも繊細な問題です。みんながわかる言葉を入れたい気持ちもありつつ、EASTEAST_TOKYO 2023で出展した 「HUNTER - 00」では宇宙語のような描き方をしました。ちょっとしたセリフが入るだけだと、普通の漫画っぽくなりすぎてしまうなと。

岡崎京子『リバーズ・エッジ』のような表現ができたら理想的ですね。高校生同士の会話のなかに、その頃のノリや空気がバチッと描かれている。橋の上で川を眺めながら、「オゾン層が破壊されててヤバいんだって」みたいな話をしているシーンがあって、それがめちゃくちゃ好きなんです。時代の抱える不安感が凝縮されているように感じます。

──漫画的な表現を用いるきっかけはどのようなものでしたか。

ギロチン:渋谷のPARCOが再開発されているときに、『AKIRA』の壁がありましたよね。工事中の囲いにデカデカと表現されていて、めちゃくちゃいいなと思ったんです。大きく描かれた漫画って作品になりうるんだなと。それがきっかけですかね。

ただ、漫画自体はもっと前から描いていたんです。落書きしたり、好きなものを模写したり。高校生くらいまで漫画家になりたかったから。それでEASTEAST_TOKYO 2023に「BEAST - 00」を初めて出したんです。漫画のいいシーンって、わざわざコンセプトを語らなくても、肉体の姿勢や動きだけでひとつの時代と思想が見て取れる。これは物語を展開するうえで必要な表現だと思いましたね。

──立体作品についても教えてください。

ギロチン:「GUNELEPHANT(TROPHY COMPLEX)」は「極薄inframince」に出した「TROPHY」シリーズの作品です。いろいろな人から黒い服をもらって、ツギハギのように制作しています。奥浩哉『GANTZ』の大阪編に出てくるぬらりひょんみたいですよね。服を凝集し固めているところから、通勤・通学の満員電車に押し込められたようなニュアンスもあります。この作品は「獸(JYU)」そのものではないですが、見た目は黒い獣みたいですよね。物語では人身事故を重要な出来事として描いていて、そこでも繋がりがあるかもしれません。

[「カッコイイ」ものの探求]

──いくつか漫画への言及がありました。先行作品を参照するとき、現代美術家としてどのような点が重要だと考えていますか。

ギロチン:ひとつは、先行世代をリスペクトしつつ、乗り越えることです。たとえば、村上隆はオタク文化を美術の世界に紹介しましたよね。オタク的な「カワイイ」ものこそが現代の日本文化だという感じで。それに対して、僕は「カッコイイ」ものを美術の世界に持ち込みたいんです。いわゆるオタク文化とは少し違う「カッコイイ」サブカルチャーの文脈を繋いでいくと、その先にギロチンがいる、というイメージですね。美術館で展示をやるなら、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTを流したいくらい(笑)。

もうひとつは、時代を反映することです。僕は自分が生きている東京という都市の質感や、そこに生きている若者の感覚を表現したいと思っています。アーティストの名前をあげるとしたら、ロバート・ロンゴですね。彼はインタビューで「都市を召喚させたいんだ」という話をしきりにするんですよ。以前のインタビューでも言及したかと思いますが、「TROPHY」シリーズのグネッとした服の感じや、人身事故というモチーフはロンゴの影響が大きいです。映像作品もいいんですよね。ウィリアム・ギブスンの小説が原案で、北野武も出演している映画『JM』や、世界中で見られたNew OrderのMV「Bizarre Love Triangle」とか。見ていて自分も映画を撮りたいと思わされます。ロンゴを見てもわかるように、優れた現代美術には時代のドキュメントのような側面がある。僕は東京がもっているリアリティを切り取りたいんです。

──今回の展示や「獸(JYU)」のプロジェクトでは、東京のどのような部分が描かれていると考えますか。

ギロチン:僕は世紀末に生まれて、小学校6年生のときに東日本大震災がありました。それから中高生になると、無差別殺人事件がいくつか起きて。この展示や「獸(JYU)」の舞台には、そんな自分の生きる東京や日本の姿が現れていると思います。

ただし、それを描くために参照しているサブカルチャーは、それより前の時代とも繋がっています。さっき話した大友克洋はもちろん、手塚治虫からもトラウマのような影響がある。特に『火の鳥』は直接参考にしていて、狼男が過去と未来を行ったり来たりする構造を、「獸(JYU)」の物語にも取り入れています。

[資本主義とポップアート]

──現代美術という方法を選んだ背景には、時代を反映したいという考えがあるのですね。

ギロチン:もちろん、それだけではないです。少し例を挙げると、ポップアートにおける「ポップ」には、ふたつのニュアンスが交錯していると思うんです。さっき話したような「カワイイ」感じを思い浮かべる人もいれば、大量生産・大量消費といった資本主義の表象だと考える人もいる。

この展示で言えば、僕は漫画文化に見られる後者の側面に注目しています。漫画は資本主義に乗っかって大量に印刷され、読まれるものですよね。そこで今回の平面作品では、そういう娯楽としての漫画を描き、シルクスクリーンで刷りました。ポップアートの文脈と漫画文化の文脈がつながるかなと思って。元々の絵はiPadで描いているんですが、モノクロにするとポップアートっぽい嫌らしさが出ないとか、もっと加工して抽象的な作品にしてもいいかもしれないとか、いろいろ探りながら。

──資本主義という言葉については、なにか考えがありますか。

ギロチン:そうですね。僕が知っているカルチャーの多くは、資本主義に対する反応として出てきているように思います。パンクのようなアンチも含めて、なにかしら資本主義の影響がある。

少し違うジャンルの話をしますが、中学生の頃、山田悠介の小説に触れたんです。もともと本が嫌いでほとんど読んでこなかったんですけど、『リアル鬼ごっこ』や『@ベイビーメール』はめちゃくちゃ読みやすかった。そこに描かれるのは、ひたすらタイムスケジュールに追われて働き続ける人々や毎日同じ日常を繰り返すループもののような雰囲気、デスゲーム的な設定……青年漫画にも通じる世界観ですよね。これも資本主義的な世界でなければ出てこない想像力だと思います。彼に対する批評は読んだことがないけど、あの無機質でジャンクな質感や暴力性は、自分の作品にもつながるところがありますね。

[アーティストとして]

──最後に、今回の会場である「CON_」についても聞きたいと思います。このギャラリーにディレクターとしてかかわるなかで、個展のアイデアに影響するような出来事はありましたか。

ギロチン:直接的な影響があるかはわかりません。ただ、異なるタイプの作家とたくさん話しているので、それをダシにしているようなところはあるかな(笑)。

当たり前ですが、人によって展示の作り方もキャリアの重ね方も全然違います。特に「界面体」に参加してもらった小寺創太さんは印象的でした。作風的にアンダーグラウンドっぽいジメッとしたものになってしまいそうなのに、そうはなっていない。彼の個展「調教都市」でも、自分以外の人に入ってもらうことで、広く伝わるようなカラッした質感をつくっているように感じました。いまはひたすら労働しているらしくて、そんな作家としての進み方も含めて好きです。しばらくしたら、またなにかやってくれそうだなって。

それから、「Provoke,High beam,☆☆☆」のPpuri(Ahn Taewon)とPip(Lee Hyunwoo)ですかね。カルチャー全般に愛がある感じや、いわゆるアート好き以外の一般の人にも作品を届けようとする姿勢も好きだし、ソウルでアトリエをシェアしていて、展示に必要な道具もみんなで共有しながらつくっているところも共感します。ふたりは美術と少し距離がある作家だけど、作品を見るとやはり「美術をやっている」。その点も自分と価値観が近いなって思います。

──自分にも「美術をやっている」という感覚がありますか。

はい。いろいろなカルチャーが好きだけど、それでも美術をやるということは、「☆☆☆☆☆☆☆」でも「獸(JYU)」でも、僕にとってすごく重要です。今回で言えば、漫画表現をリスペクトしつつ、作品鑑賞の感覚と合うように意識しています。青年たちの細かな表情や構図を意識して、平面作品として成り立たせるんです。「獸(JYU)」は物語だから、もしビルをぶっ壊したければ、ビルをぶっ壊せる。物語のなかにカッコイイと思えるシーンをたくさん入れて、作品にしていきたいですね。