末端の経験に触れる - しじし

末端の経験に触れる - しじし

石崎朝子、板垣竜馬、竹久直樹による展示「しじし」。指先には、あるいはそれが差す先には、身体と機能、記号の新しい重なり合いがある。それぞれの末端部で広がる経験とそのリアリティを確認しながら、各作品の解説や展示のコンセプトから、展示空間における配置や什器の問題まで、ざっくばらんに語ってもらった。

Text:Seshimo Shota

All Photo: Naoki Takehisa


「Installation View」CGC

── 最初に、それぞれの自己紹介をお願いします。

石﨑朝子(以下、石崎):石﨑朝子です。都市空間のリサーチから現場のリアリティを立ち上げて、それをもとに立体的な作品や映像を作っています。これまでの作品ではグラフィティやスケートボードを取り入れていました。今回は少し趣向を変えて、指で街を経験する作品を制作しています。外での経験や、それを表現する作品って足に集中しがちなので、指でやってみてはどうかという考えです。

板垣竜馬(以下、板垣):板垣竜馬です。主に彫刻をやっていて、デジタルと現物の関係性や、リアリティのあるものと本当にリアルなものとの違いに興味があります。これは「新天動説」という「中心」がどこにあるかを考える作品を制作して明確になった問題意識で、今回もそれに関連するテーマの作品を制作しています。とりわけ彫刻というジャンルでは、いわゆる具象彫刻のように「本物」を追求するものが多いんですが、自分はそれとは違ったところに関心をもっています。

竹久直樹(以下、竹久):竹久直樹です。主に写真を用いて、作品を制作しています。写真というのは一般的には「記憶」とか「記録」といった言葉と結びつけられて語られることが多いですが、自分にとって写真というのはたくさん撮影すればするほど、そこに費やした自分の時間が消滅するような感覚があるんです。撮影で得られるそうした感覚自体が、自分の作品制作のテーマだったりもします。

── ありがとうございます。みなさん、よろしくお願いします。

[消滅する時間]

── 続いて、それぞれの作品について伺っていきたいと思います。今度は竹久さんからいきましょうか。

竹久:はい。今回は「マウス」というインスタレーション作品を作りました。まず写真のほうは、ネズミを超音波で追い払う機械を撮影したものです。超音波は写真に映らないし、もちろん自分でも聞こえません。聞こえない音を聞きながら、普通の写真を撮影しているところが面白いなと思います。先ほどお話しした、撮影しているときの時間が消滅するような感覚に触れるものです。

次に映像のほうは、その感覚に日本語や指文字、歌など、いくつかの媒体を用いて迫るものです。Macの画面には、マウスを使ってテキストを書いているところが映されています。その文章には、家の天井裏に出たマウス、つまりネズミのことが綴られている。ネズミを追い払うときって、害虫駆除業者が人間に聞こえない超音波を使いますよね。もし日本語が通じたら「出ていってね」って言えばいいんだけれど、ネズミには通じない。そうした状況において、日本語を扱う一種のメタ言語があると想定し、その言語をいくつも使って足りない部分を補い合ってやり取りする。その間にも時間は経過していき、自分の声はどこにもいくことがない。そんな作品ですね。

こういうコミュニケーションは、人間同士でもおこなわれていることだと思っています。たとえば、耳が聞こえない人は手話を用いてメッセージを伝えますよね。手話では、昔から存在する言葉の場合にはその意味に対応した動きで表現しますが、対応する手話が無い場合には音に対応した指文字で表現します。同じように手を使った動きでも、対応物がまるで違っている。これは日本語と英語の違いのようなものとは別物です。口が塞がったら喋れないけど息を使って笛を吹くことはできるかもしれない、ネズミにも口があるから、笛が吹けたら歌を口ずさめるかもしれない、歌があったら人間には意味が伝わるかもしれない、でもネズミには意味は伝わらない。そんなイメージではないかと思います。

「マウス(マット) / Chattering(Framed)」Naoki Takehisa

── 言葉にかんして言うと、竹久さんの作品は日本語と英語で異なるタイトルになっていますね。

竹久:そうですね。日本語の作品名は「マウス」なんですけど、英語にすると意味が通らなくなるので「Chattering」と意訳しています。Chatteringは、マウスを操作しているときに生じる誤作動のことです。元々はchatterという言葉で、chatと同じですね。ぺちゃくちゃ喋るというような意味。

今回の作品では言語を扱っていますが、こうした意訳の問題についても今後の作品のなかで考えていきたいと思っています。

「マウス(ディスプレイ) / Chattering(Display monitor)」Naoki Takehisa

[CGの中心を差す]

── 次に、板垣さんお願いします。

板垣:まず、「0PX360」ですね。これはモニターの中でCGの手が回っていて、さらにそのモニターが手とは逆向きに回転しています。それぞれ反対に回っているので、モニターの中にある手は一方向を指差し続けています。具体的にどこを差しているかというと、モニターの真ん中を指差し続けています。しかし、中心の1ピクセルを軸に回転しているので、そこにはなにもありません。言ってみれば0ピクセルを差しているんです。反対に、「ALLPX」のモニターでは、手がすべてのピクセルを差し続けるように回転しています。これらを通じて、モニター内のCGの世界において中心がどこにあるかを考えています。

今回の作品制作の直接的なきっかけになったのは、CGを扱う経験です。CGには表面だけがあって中身がありません。外側が立体物になっていても、中身はそうではない。その中心は現実の物体の中心と異なるのだろうかということを考えるようになりました。

「0PX360」Ryoma Itagaki

── 「新天動説」をはじめ、「中心」を探すというテーマに板垣さんはずっと関心をもっていますよね。

板垣:そうですね。「新天動説」という作品では、地表のある一点を中心に地球も太陽も含めて全宇宙が公転しているという、現代における新しい宇宙体系を考えた作品です。具体的には、映像作品にくわえて、地球儀の中心から外側にズレた地球を制作しました。地動説と天動説とで中心が変わる、それによって世界像そのものが変わるところが面白いなと思ったんです。それ以来、新しい中心を探るというテーマをもっています。

── モニターの中にあるCGの世界の中心を捉えるうえで、なにが必要だと考えますか?

板垣:まず重要なのはカメラですよね。PCのなかにはカメラの概念があって、そのおかげでCGは動きます。また、現実によく似たCGをフォトリアルと言うように、CGは写真を目指しているんですよ。CGのリアリティの頂点にはリアルそのものではなくて、カメラで撮影されたリアリティのある写真があるわけなんです。

そういうこともあって、今回制作した地球儀の作品「新天動儀 三脚型 Offset Grove-tripod」では、三脚や銀色のセンサーをイメージさせるようにしました。三脚のトップの部分から地球の一点までをまっすぐ結ぶように配置されています。言ってみれば、地球儀はカメラのほうを意識しているんです。

「新天動儀 三脚型 Offset Grove-tripod」Ryoma Itagaki

[都市で循環する指]

「フィンガー・レコード(no1)」Asako Ishizaki

── 最後に、石崎さんお願いします。

石崎:今回の作品「トレーシング・シティ」はいわゆる指スケというか、指で外を経験してみる試みです。スマホを触っているときって、指と画面っていう自分に近いところで循環がありますよね。それに対して、外を歩くときは脚と地面の循環です。自分のなかで循環するときは指が、外で循環するときは脚が使われることが多いなと。そこで、指を外と循環させてみてはどうかと考えました。

── 興味深いです。モチーフとして使われているスケートボードなど、ストリートカルチャーには元々関心があったのですか?

石﨑:スケートボードについては、街そのものを舞台にして滑っているところに惹かれています。この縁石をどう滑ったらキマるか考えるというのは、街のいろいろな部分を磨いているような感じがして。

自分でもスケートボードをやるんですが、グラウンディングって言えばいいんですかね、地面に対する作用・反作用を強く感じられるんです。ちょっとした傾斜や悪い路面を滑っていると、振動が直に脚に伝わります。それは自分にとって衝撃的な経験でした。そんな経験を指でしたらどうなるんだろうという興味が今回の作品につながっています。

グラフィティも好きです。ただ、グラフィックそのものへの関心というよりは、文字が街のなかにあるということ自体に向いています。路地の隙間のこんなところに文字が描いてあるんだな、みたいな。だから凝ったものよりも、一色でささっと言葉を描いているようなタギングが好きですね。同じような理由で、新国誠一のコンクリートポエトリーにも興味があります。どこに、なにがどのように置かれているかを考えているところが面白いんです。スケートボードへの興味と似ているかもしれません。

── 作品をどのように配置するかということについて、今回なにか意識したことはありますか? 白色の大きな什器が印象的ですが。

今までは青い作品が多かったんですよね。外の風景で一番最初に目に入るのは空の青だし、風景画でもバックには青がある。まず青があって、そこに情景を重ねていくものかなと。

しかし、展示空間としての室内というニュアンスが伝わると良いです。いわゆる高さを出すための黒子的な役割として白(白子?)が用いられていることに関心をもち、白という要素を取り入れています。ただ、白色をそのまま使うのではなく、外を滑った指で汚れをつけました。今回の作品を真っ白な什器に配置することに違和感があったからです。

道路でも工事現場でも、そこにある物の色には理由がありますよね。工事現場にある赤いカラーコーンを作品に使いたいと考えても、その理由がなければうまくいきません。物体そのものではなくて、たまたま赤や三角の形がほしかっただけに思えてしまう。そうはしたくないなって。

「トレーシング・シティ」Asako Ishizaki

[設営から指へ]

── 最後に、それぞれの作品や出てきた話題について、ざっくばらんに喋っていきましょうか。

竹久:私は石崎さんが話していた、ホワイトキューブにカラーコーンを置く違和感は共感します。

カラーコーンに限らずですが、現代美術の展覧会においてしばしば屋外作業で使われるような電源コードや足場用の単管パイプを展示什器として使う人が見受けられます。学部時代の自分もそうだったので、そうした機器を用いる気持ちは痛いほどわかります。たしかに物自体としてはかっこいい。けれども、明度や質感の関係で作品は見づらくなることが多く、なにより単管は工事現場にあるものであって、部屋の中にあるのは通常はおかしい。作品の内容か、あるいは展示空間の状況に対応しているのでなければ、単純に見てくれの消費になってしまうのではないか、と自分は思います。今回の展示は板垣什器も石崎什器も、状況や作品内容にそぐうよう、必要な手を加えていますよね。

石崎:そうですね。私が今回使っているモニターはAmazonで売っているものですが、元々は黒だったんです。でもその色が嫌だったので、塗装を剥がして、全部磨き直しています(笑)。

板垣:いいですね。僕は石崎さんの作品って空中に吊るのかと思っていたから、壁を立てる感じになったのは面白いと思いました。あれのおかげで展示空間が一気に見えてきて、窓を開け放つようにするとか、いろいろ会場へも介入できましたね。

石崎:ありがとうございます。モニターをモニターのまま置きたくないし、かといって、単管も違う。いろいろ考えていて、都市の面をなぞるような映像だから、面としての壁を設置しようかなってアイデアにたどり着きました。

── 什器へのこだわりをはじめ、みなさん共通してインストール(設営)への意識が高いですよね。CON_でこの展示を企画した段階では、インストールをテーマに展示をやってもいいかもという話もあったそうですね。

板垣:僕は彫刻を作っているから、「立てる」ということが必然的に生じます。そのため、最初から設営込みで制作を考えているところがあるんです。初めてインストーラーの仕事に行ったときも、これならいつもやっていることだと感じたくらいです。

石崎:私も同じですね。彫刻をやっていると自然にできてしまう。

竹久:自分はインスタレーションなので、配置すること自体が作品制作の一部だったり、ディスプレイを使うから配線を考えたする必要がある。

ただ、あんまりインストールに意味を見出しすぎてもどうなんだろうと思って。資材を買うときにホームセンターなどでちゃんといいものを選べるっていう程度の話であることも多いですからね。そういうわけで、今回は「指」っていうもっと遠くに飛ばせそうな展示のコンセプトが出てきてよかった。

板垣:三人とも指に関連する作品を作っていたことに気がついて、それで「しじし」の元になるアイデアができたんですよね。

石崎:そうですね。展示のテーマをどうするか話し合っていたときに、私が指で街の表面を滑っていく指スケみたいな作品を考えているって話をしたんです。そうしたら、板垣さんにも指を差す作品があったり、竹久さんにも指にインタビューする作品があったりして、すごい共通点だねって。みんな指遊びをしていたという(笑)。

そこからタイトルに至るまでは大変でしたよね。人差し指を差す「示指」(じし)とか、あれ・それ・これのような「指示詞」(しじし)とか、いろいろ意味を重ねていって。最終的には、文字の並びがビジュアル的にも可愛い「しじし」に決まりました。

竹久:指で作れそうな字面だし(笑)、いい名前になったんじゃないかな。

── 話は尽きませんが、時間になってしまいました。3人の共通点から展示のコンセプトまで伺うことができたので、今日はこのあたりで終えたいと思います。みなさん、ありがとうございました。

一同:ありがとうございました。

「Installation View」CGC